清書よく書けた!の声が広がる季節:硬筆展を終えた子どもたちの姿から思うこと

こんにちは。上尾市のお習字教室✏︎もじもじのかどいです。

この時期、教室でも「学校の硬筆展に出す清書が終わったよ!」という声が聞こえてくるようになりました。「選手になったよ!」と嬉しそうに報告してくれる子もいれば、「うーん、うまく書けなかった〜」と少し悔しそうに話す子もいます。でもどの子の言葉にも、今まで練習を重ねてきたことの手ごたえと、最後までやり切った達成感が感じられました。

教室ではもちろん、硬筆展のためだけに練習しているわけではありませんが、こうした“学校とつながる場”があることは、子どもにとってとても大きな意味を持ちます。いつもの練習とは違う緊張感、目標を決めて取り組むこと、選ばれたり選ばれなかったりする経験……。どれもが、子どもたちの心と手の成長につながっているのだと改めて感じています。

今日はそんな「硬筆展・清書の時期」の教室の様子を少しだけご紹介します。


教室にも広がる「清書終わったよ!」の声

清書が終わった日、教室に来るなり「今日ね、硬筆展の清書やったよ!」「うまく書けた!」と話してくれる子が何人もいました。いつもよりちょっと誇らしげな顔。思わず「それはよかったね」と返しながら、その一言にどれだけの緊張や集中、努力があったのかを思うと、胸が熱くなります。

中には「代表選手に選ばれた!」と教えてくれた子も。親御さんからLINEで報告をいただくこともあり、「選手に選ばれて本人もとても喜んでいます」といった言葉を読むたびに、私までうれしくなってしまいます。

一方で、毎年この時期になると「清書、うまく書けなかった」「練習のときのほうが良かったかも」という声も聞こえてきます。うまくいった子だけでなく、思ったように書けなかった子も、それぞれの子にとって大切な経験だったことは間違いありません。「書けなかった」と感じた子が、その悔しさを次のチャレンジにつなげていけるように、そっと見守っていきたいと思っています。


子どもたちのがんばりが見える瞬間

「硬筆展の清書が近いんだ」と知ると、普段よりも丁寧にゆっくり書こうとする子が増えます。なかには「最後の一枚にかける!」と集中して取り組む子もいて、その姿はとても頼もしく感じます。もちろん、いつも通りマイペースな子もいます。でも、そういう子も、少しずつ気持ちのスイッチが入っていくのが分かります。

私が見ているのは、清書の出来ばかりではありません。それよりも、「この一枚、がんばって書けた!」と自分の中で納得できたかどうか。「いつもの練習より丁寧に書けた気がする」と言っていた子の笑顔や、「もっと練習したい」と言っていた子の真剣な目。そういう姿にたくさん出会えた今年の清書の時期は、私にとっても大切な時間になりました。

子どもたちの「がんばりたい気持ち」がにじみ出るこの時期。どんな結果であっても、そのプロセスをちゃんと見ていたい。そして、がんばった子どもたち一人ひとりに「よくがんばったね」と声をかけたい。そんな思いで、日々の教室に立っています。


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「結果」よりも、その前にある「手の記憶」

子どもたちが「よく書けた!」と感じた一枚は、紙の上だけでなく、きっと心と手の中にも残っていると思います。そしてその記憶は、これから先、また何かに挑戦するときの力になります。

うまくいった子も、そうでなかった子も、自分の字と向き合ってがんばったことは変わりません。親御さんからすると、つい「選ばれた」「選ばれなかった」といった結果に目が向いてしまうこともあるかもしれません。でも、ぜひその前にある「がんばりの時間」「悩んでいた姿」「納得できた瞬間」にも目を向けてみてください。

私自身、この時期の子どもたちの表情から学ばされることがたくさんあります。清書を終えたあと、少しほっとした顔で教室にやってくる子どもたちを、これからも丁寧に迎えていきたいと思います。